宝箱の修理された(された訳じゃなく、こっちから押し付けた)お宅にあった網代編みの花籠です。
近隣ではこの人しかいないという竹工芸の名人(私の師匠のお父上で今年で104歳)や、その師匠で何十年も前に亡くなった二篁っていう号の人の宗全籠やら、他にも沢山の竹かごがありました。
上記宗全籠は茶道具として可成りな数が売られており、高価なものではありませんが、名のある人の作となると値段は跳ね上がります。惜しむらくは保管状態が悪かったのか、竹ひごが乾燥に耐えられずどちらも数か所で折れていました。修理できるかどうか聞かれましたが、直す自信は無いので謹んで辞退させていただきました。
それらに混ざってあったのが写真の花籠です。
底の力竹に銘らしきものが掘ってありますが、薄くなっていて読めません。高価な物なら桐箱に入っているのが相場ですが、紙に箱に入っていたのと、「誰かから貰った」という事なので、それほど高価なものではないかもしれません。
しかし、値段以前の問題なんですが、瀟洒で均整の取れた形が何とも言えない雰囲気なのに惹かれてしまいました。
四方網代底84本仕立てで底から立ち上がりに掛けて3枚網代、そこから胴の膨らみ部分は2本ぞろえの2枚網代で、膨らみが解消する部分で再度3枚網代に戻るという編み方になっています。
持ち手や足、口廻りの加飾部分も過剰な装飾性を抑えたシンプルな作りになっており、緩みの無い締った作りになっています。
これは習作としてトレース(真似ね)しない手はありません。
「これ、2か月ほど貸してください。その代わり1作目を差し上げます。」ってことで借りてきました。
進行中の宝箱の修理の方は、1日の内1/3程の時間をあて、残りは竹ひごづくり(0.4mm厚・幅3mmまで加工した3尺のひごが700本ほどあって、必要量をその都度既定の0.25mm厚・2.8mm幅に加工して使うようにしています。)に当てています。
今回は3つ作ろうと思っているので、350本ほどを加工します。(100本弱は加工中のロスと、予備になります。)
先ずは編む時の型を作ります。もう少し削り込んでシャープな形にする必要があるようです。
発泡スチロールで作りましたが、一体ではなく、全体を10個のパーツで作ってあります。
先ずは底編みの確認。初めて手掛ける底編みなので、いきなり本番に進む勇気はありません。
やってみるとそれ程難しい物では無かったです。
編みあがりました。編みは家に持って帰って、夕食後2~3時間の残業で3日程で終わりました。
この手の網代編みの籠は、ヒゴ6割・編み1割・加飾3割っていう割り振りになるようですね。
編み上がった型を取りだしたものです。胴の膨らみの上から1/4ぐらいで上下に分割し、それぞれ5つのパーツに分かれているのを、竹串で連結してあります。
立ち上げが終わったら下半分の型を入れて順次編み上げ、下の型の最上部に達したところで上の型を繋いで最後まで編み上げます。
編みあがったら竹串を抜いて、最初に真ん中のパーツを抜き取り、順次外側のパーツを外します。
あとは加飾ですね。見本は染めたあと漆を塗ってサビ付けし、イボタ蠟を付けて磨き上げて仕上げとしてあります。ちょっとテストをしておく必要があるようです。
同じ家にあった浅めの煮物碗ですが、何か所か痛みがあります。同じものは他になく、一つだけあったもので、施主様が金継ぎ教室に通っていた時買った傷物らしいです。
驚いたのは平蒔絵の部分です。極めて繊細な釣り糸の書き方が超絶的に上手なんです。均一な筆遣いで些かのためらい跡も見られません。
そう思ったので私の師匠に見てもらうと案の定です。
「昔はこういう隠れた名人みたいな人がウジャウジャいたんでしょうね。まあ、今はこういう繊細な描線に使う蒔絵筆が無いんで、出来る人が居なくなったとも言えるんですがね。」
「この部分を金継ぎしますか?でも、欠けたところから水分が入って周囲の漆も浮いてますねえ。これは難物かもしれませんよ。昔よく使われた手法で、下地は膠と下地漆を混ぜたもので、その上に漆を1回か2回だけ塗ったものですね。漆の層が薄いので研ぐとすぐ下地が出てくると思います。あちこちに木地の小さな割れもありますねえ。」
「昔の職人は、漆も金も高価なので最小限の量で済む様にする事を求められたんでしょうね。蒔絵の腕は名人レベルですが、この碗自体は高価なものではないと思います。」
「魚は鯛でしょうが、金魚みたいな尾びれになってます。ちょっとおかしいですね。」
「まあ、ダメもとでやるなら止めはしません。いい勉強にはなるので、時間を掛けてじっくり直してみてください。」
既に一部手を入れ始めていますが、1年がかりぐらいの覚悟でやらないと駄目みたいです。最悪元の持ち主に返せなくなる恐れもあります。
勿論別途経緯と結果報告はいたします。乞うご期待。